写真は今から46年前の新聞広告です。
1974年9月15日の敬老の日に日本経済新聞と朝日新聞で日本初の羊毛布団の新聞広告が掲載されました。写真の羊毛布団が半世紀にわたって形を変えずに、現在も販売されている、SO SAN STYLE(ソサンスタイル)のおすすめするボゥルフ羊毛敷きパッド(当時の愛称はシエスタ)です。
フランクフルトから南に約100km、ムンゼスハイムという小さな町に、SO SAN STYLE(ソサンスタイル)が販売する羊毛布団(ウールケットやウールパッド)を製造するビラベック(billerbeck)本社ドイツ工場があります。
今日はドイツ・ビラベック社の羊毛布団の日本伝来のものがたりです。
昨日も触れましたが、1948年にビラベックは世界ではじめて工業製品としての羊毛布団を製造、販売を開始しました。
ヨーロッパの羊飼いやジプシーが刈った動物の毛を袋に入れて抱いて寝た、というのは昔からあったことです。日本でも同様に北海道で自家製羊毛布団の存在は確認されています。
ビラベックは布団に詰める充填物としてウールに着目し、いち早く商品化したのです。
時は流れて20年後、東京に顕微鏡や望遠鏡等、光学機器の輸出商社である相互産業株式会社(現在は神奈川)がありました。
当時の社長、内山實さんが1968年(昭和43)年に光学機器の仕事でヨーロッパを訪れます。
そして、ドイツ滞在中のホテルで、ビラベックの羊毛布団に出会ったのです。
内山社長はドイツから帰国するときにデパートで羊毛布団を購入、おみやげに日本に持ち帰ってきました。
これがビラベック羊毛布団の日本伝来です。
おみやげの羊毛布団は東京日本橋の老舗布団店「日本橋西川」に持ち込まれ、1971年から輸入販売開始となりました。
当時の日本の布団といえば、綿わた布団ばかり…工場で布団を製造するというよりも、布団屋さんの手づくりだったり、家でおばあちゃんがつくる…まだそんな家庭も多かったかもしれません。
羊毛布団を販売するにあたって同じ西川グループの1社「昭和西川」を代理店としました。
昭和西川は西川グループで唯一、埼玉県草加市に自社工場があり、輸入販売がはじまると羊毛布団はさっそく大解剖されます。
その後、草加工場にドイツからウールの製綿機とキルトマシーンが設置され、国産の羊毛布団がつくられはじめました。
昭和西川は寝具のウールマーク認定工場として日本の羊毛布団の製造に大きく寄与することになります。
こうして羊毛布団は全国に広がっていきました。
日本市場が拡大していくと、相互産業はビラベックと共同出資で1986年にビラベック日本法人を立ち上げました。現在は日本資本のみの輸入代理店として販売店へ羊毛布団を供給しています。
SO SAN STYLE 寝室デザイン研究所は眠りと寝室環境を提案するラテックスマットレスと布団の専門店です。
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